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オクラホマ連邦ビル爆破事件 犯人逮捕へ…奇跡の48時間
2007年08月29日
1995年4月19日、アメリカ史上最悪と言われる爆弾テロが起きた。死者168人、うち子供が19人、重軽傷者500人以上という未曾有の被害を出したオクラホマ連邦政府ビル爆破事件。犯人ティモシー・マクベイ逮捕には48時間にわたるドラマがあった。
マクベイは20歳で陸軍に入隊。体力、知力ともに長けていたマクベイは才能を開花させ、異例のスピード出世を果たした。そんなマクベイの夢は陸軍の中のエリート集団、特殊部隊「グリーンベレー」に入ること。
しかし、その入隊テストにまさかの失敗、今まで自分はエリートだと信じていたマクベイは初めて挫折を味わった。これを機にマクベイは自ら除隊することになり、それと共に、自分を認めなかった軍や政府に対し、歪んだ感情が芽生える。そんな中、1993年4月19日、「ウェーコ事件」が起きた。
大量の銃器を隠し持っているという理由で政府から家宅捜査を要請された宗教団体がこれを拒み2ヶ月立てこもりを続けていた。業を煮やしたFBIとATF(銃器取り締まり局)が強行突入、これに怒った教団側が建物に火を放ち集団自殺したのだ。テレビでこの様子を見ていたマクベイは政府の弱いものいじめだと感じ復讐を誓った。独自にウェーコ事件を調査したマクベイは、突入の際最前線にいたのがオクラホマ州のATFである事を突き止めた。そのATFがある場所、それがオクラホマ連邦政府ビルだったのだ。
そして1995年4月19日、ウェーコ事件からちょうど2年後のこの日、大量に爆弾を仕込んだトラックを連邦ビルの正面に停め、爆破した。一瞬にしてビルの半分が吹き飛ぶというすごい威力…不運にもトラックを停めたすぐ上には、政府機関で働く人たちの子供を預かる託児所があった。その為多くの子供たちが犠牲となってしまった。
事件発生から1時間後、マクベイは現場から100キロ離れた高速道路を走っていた。と、突然パトカーが追いかけてくる…ハイウエイパトロールに呼び止められた理由、それはマクベイの乗っていた車にナンバープレートがついていないという意外なものだった。さらに、取調中、警官に銃の違法所持を見つけられマクベイは逮捕されてしまう。
その頃警察は現場近くに偶然残っていた車体ナンバーから、犯行に使われたトラックがカンザス州でレンタルされたものだと割り出した。レンタカー会社の店員の記憶からモンタージュが作成、すると、そのモンタージュはマクベイにそっくりだった。
翌日捜査員がモンタージュを元に周辺の聞き込みを始めると、あるモーテルの主人が以前宿泊した客がよく似ていると証言。宿帳から男が“ティモシー・マクベイ”という名だと判明し、すぐに前科者リストを洗うがマクベイの名はなかった。実は逮捕されたばかりのマクベイの名はこの時点ではまだ前科者リストには登録されていなかったのだ。
その頃マクベイは裁判を待っていた。そもそも銃の違法所持はそれほど重い罪ではなく、マクベイは前科もなかった為、この日裁判を受けて保釈金を払えばすぐに釈放されることになっていた。…が、前に行われていた離婚裁判が長引き、マクベイの裁判は翌日に持ち越される事となった。運命のいたずらか!?マクベイの拘留が1日延びたのだ。
一方、FBIはついにモンタージュを一般公開!懸賞金つきで情報を募ったところ、電話が殺到。その中にマクベイに関する情報があり、FBIはマクベイこそが犯人であると確信し全力でマクベイ探しを始めた。そして、事件から2日後、マクベイの身柄が釈放される直前、ついにFBIはマクベイが刑務所にいることをつかむ。拘留期限わずか30分前、マクベイは身柄を拘束された。
2001年6月11日、マクベイの死刑は連邦政府によって行われた。さらに死刑に立ち会いたいという遺族の数があまりに多かったため、別会場にスクリーンを設置しての世界初、死刑の生中継(見られるのは遺族のみ)が行われた。マクベイは200人以上の遺族が見つめる中薬物を注射されカメラをじっと見つめたまま死んでいった。
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